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    移住者体験談

    絶対、何とかなる!

    滋賀県 山ノ内町 趣味と暮らす農林業・自然と働く

    瀬崎 眞也さん (京都府出身)

    移住先 山ノ内町
    移住年月 2017年4月
    年代 50代
    職業 果樹農家
    若いころから信州に御縁がの画像

    若いころから信州に御縁が

    ・京都市伏見区出身、大阪府茨木市、兵庫県宝塚市、滋賀県草津市を
     経て山ノ内町佐野に移住
    ・前職は京都市消防局で救急救命士として主に救急活動に従事

     就職したころから信州に御縁がありました。職場の旅行で、若いころは志賀高原でのスキー、年齢を重ねて、長野県県内の温泉や寺社巡りをするなど、近年では毎年のように信州方面を訪れていました。

     地方での暮らしについては経験がありませんでしたが、祖父母が兵庫県豊岡市日高町(神鍋高原の近く)で米や養蚕など農業を営んでいたため、田舎の風景や農業に対して自然にとけ込むことが出来ました。

    ■救急隊時代は呪われているのかと思うくらい激務!
     京都市消防局に勤務していた時は、消防隊、救急隊、119番を受け付ける消防指令センターといったハード部署や消防音楽隊での広報活動、少年・幼年消防クラブの育成や消防学校の教官(救急担当)、事業所への救急指導といった職歴があります。

     その中で15年経験した救急隊時代は超激務でした。救急救命士(医療従事者)として活動する中で、人の命を救うための専門的かつ幅広い医学知識を習得し、それを現場で実践する仕事で非常にやりがいのある仕事でした。
     その一方、運が良いのか悪いのか、京都市内で出動件数の多い救急隊に何度も配属され、特に退職前の下京消防署(京都駅周辺を管轄)に勤めていた時は24時間の勤務中に20回出動したこともあったほど繁忙でした。例えば、現場から患者様を病院に収容した後、署に帰る途上で出動要請といったことが24時間勤務中に何度も繰り返され、やっとの思いで帰署し食事を一口食べた途端に出動ベルが鳴るなどが日常茶飯事でした。

     このような状況が継続すると、正直に申しまして心身ともに疲れ切りへとへとでした。

    ■思えば移住のきっかけとなったりんご
     幼少のころからりんごは大好き。また、長野県産のりんごを食する機会が多かったため、舌が味を覚えたのでしょう。

     兵庫県宝塚市の自宅マンションが阪神淡路大震災で半壊。近くの小学校が避難所となり、そこで数週間に渡り避難生活をした経験があります。その際に食料に困っていた時に救援物資としていただいた、青果のりんごがとても美味しく大変ありがたかった記憶があります。

     また、東日本大震災発災後すぐに緊急消防援助隊として現地に行く際に、避難所で食べたりんご思い出し、自分の非常食としてりんごを持参しました。現地で差し入れたわずかな数のりんごですが、美味しそうにりんごを頬張る子どもたちの、あの笑顔が忘れられません。そのようなことが原体験となり、今度は災害の最前線で活動し人のために役立つのではなく、あの美味しい幼少から大好きなりんごを自分で作る事を通して、人のために役に立ちたいと思うようになりました。

    私が北信州山ノ内町を選んだワケの画像

    私が北信州山ノ内町を選んだワケ

     真っ先に思い浮かんだのは、りんごが美味しいイメージが強かった北信州、候補に挙げましたのは高山村、飯綱町、そして山ノ内町です。
     第一関門。33年間務めた公務員を早期退職することに反対であった家族を、第二の人生を楽しく生きたい、そして大好きなりんごを長野県に移住してぜひ作りたい、と何とか説得しました。
     第二関門。その中で、志賀高原の麓で採れるりんごは、清流育ちで美味しい、先輩農家さんの生産技術力が高いと、県及び町の就農の担当者さんから親身で熱心にお誘いいただきました。また、就農、居住地域を選ぶ際にも、南部地区がIターン就農者への理解が非常にあり、受け入れ側の態勢もしっかりしているなと感じたので、山ノ内町に決めました。

     ここに住みたい、ここで農業をしたいという明確な意思と、それを受け入れる地域の思いや姿勢は本当に重要だと感じました。

    ■人やりんごの樹に支えられて
     就農に際しては、当初は長野県の里親制度を考えましたが、我が家の経済事情や就農時の補助金を受けられない45歳の壁(ほとんどの補助金制度は原則45歳まで)の現実を突き付けられため、地域の方や町・県の担当者に相談し、理解を得たうえで、長野県農業大学校果樹実科で、高校卒業したての若い人たちに囲まれながら1年間主にりんご栽培の基礎について学んだ後、新規就農いたしました。

     研修が短かったため不安も多くありました。しかし、例えばりんご畑の地主さんも私が不在の時にも畑を気にかけて見に来てくださり、それとなく言ってくれるワンポイントアドバイスが大変ありがたく、方向性や作業手順を確認しながら、安心して取り組むことができました。

     隣接の畑から虫が入り、りんごが全滅した苦い経験もしました。あともう少しで収穫なのにまさか、就農1年目でこのような試練が・・・ついてはいないが、救急隊時代の経験で、「絶対、何とかなる!」と気持ちを切り替えて、前へ歩み出すと、地域からの励ましやサポートもあり、見ている人はみているのだなあと、気持ちの面で本当に救われました。

     あとは、りんごの樹たちにも助けられましたね。樹齢30 年や40 年の樹ともなると、こちらが不慣れであっても、樹がドンと構えてちゃんと良い実をつけてくれる。りんごも生きているのだなあと感じましたし、樹に助けてもらったようでありがたかったです。

     就農1年目、自分で試行錯誤しながら、畑で失敗したことを検証し次に活かせるよう創意工夫をしています。また、地域の数多くの先輩農家さんや町、県の担当者さん、そして長野県農業大学校の先生方に支えられているのだと痛感し、総括すると色々あったけれど面白かったです。

    農園主で営業部長の画像

    農園主で営業部長

     実はりんごの樹たちにたくさんのりんごが生っているのを見て、「これ、どのようにして売ろうか、さばき切れないぞ」と強い危機感を覚えました。この畑なら3~4トンは収穫出来る、と先輩農家さんからの言葉を聞いて、度肝を抜かれたのを忘れません。

     農園主であると同時に営業部長として、自分が生産したりんごを売り込まないと、生活できないと、ダメもとで営業に動くしかないと再び危機感を覚えました。更に、商品として扱われないりんごも多量に出るため、廃棄したり土に返すのではなく、これらのりんごを加工品として世に出さなければもったいないと痛感しました。

     この場面でも救急隊時代の経験で、「絶対、何とかなる!」と気持ちを切り替えて、北信地域の大商談会に参加したり、あまり既成概念にとらわれず、ダメ元で飛び込み営業をしている中で、少しずつよいご縁をいただき、有名ホテルや、対面販売、首都圏や関西圏の大手スーパーへの継続した販売が出来る機会を得ることが出来ました。贈答用として出身の京阪神地域の付き合いのある方々からも、「何なん!?このりんご!!」と驚き大絶賛していただき、数多くのリピーターとして御縁を頂戴することが出来ました。

     自分が営業して得られた販路から、美味しいりんごの産地として少しでもアピールする機会が増し、消費者の方々に美味しいりんごが食べて貰うことが出来れば、こんなに嬉しいことはないですね。また、廃棄前提のりんごを前職の経験からの視点でオリジナルなものを考案、作製し、違った形として世に送り出したいです。

     今後、山ノ内町の美味しいりんごを私なりに京阪神地域に浸透させていければ良いなあと夢を描いています。それが受け入れてくださった、地域(南部地区)や山ノ内町への恩返しとなれば幸甚です。

    販路の確保の力強い脇役の画像

    販路の確保の力強い脇役

     自分の農園をいかにたくさんの消費者に知っていただくかを考えた時に、オリジナルのロゴマークは必須だと感じていました。ロゴマークは、商品を手に取ってもらえるのではないかとシンプルでインパクトのあるデザインそこで県の補助事業を活用し県に協力していただき「瀨崎農園」としてのロゴマークを作成いたしました。私のかつての仕事の消防と、りんごに対する燃えるような熱い思い、そして志賀高原の稜線、当園に所在するりんごの樹皮を瀨崎農園の文字として力強く表現していただきました。

     作製に時間を費やした分、とても愛着があります。今後このロゴマークを活用し、農園旗、のぼり旗、名刺、シール、商品タグ等を通して山ノ内町で生産した美味しいりんごをPRしていきます。当然、自分の農園をPRすることも忘れません。他人に盗作されないよう商標登録出願いたしました。

     合わせて、私が管理するすべての畑に対して長野県知事からエコファーマー認定をいただきました。環境に優しい、安心・安全なりんご生産していることを消費者の皆様にPRしていくことは経営的にも非常に大切なことであると考えますし、今後は更に強い責任感をしっかり持ってりんごを生産してまいります。

    ■これからI ターン就農を考えられる方へ
     山ノ内町の南部地区は実力のある農家さんや、その農家さんが栽培する畑は、いわゆる「生きた字引き」で、本当に数多くのことを学べます。それは大変刺激になります。
     私は前職の経験から、完璧を目指す必要はないと考えています。しかし、やるからには、目標は75~80 点は取りたいですね。100点に至らなかった20~25点は反省点として、検証し次に創意工夫しながら生かせればよいと思います。

     また、追い詰められたら「絶対、何とかなる!」と気持ちを切り替えて、あまり自分にプレッシャーを与えすぎないことも大切だと考えます。また、地道にコツコツ努力していれば、バックアップは必ずあります。

     休日や仕事時間、仕事のペースを自分で決められるのは、公務員経験しか知らない私にとっては新鮮。好きな音楽や漫才を聴きながら、素晴らしい自然と素晴らしい人たちに囲まれて気持ちよく仕事していけます。

     長野県の方々は、どこの場所にお伺いしても本当に優しい方が多いと思います。本当に親身になって話を聞いてくれます。更に、地域との関わりの中で、様々なよいご縁やお話をいただくことがありますので、地元の交流は貴重な機会ですし大切にしていきたいと思っています。

     就農してまだ年月が浅く、45歳の壁に阻まれる農業者として、特に資金面で何も後ろ盾がない私の場合、エコファーマー認定と、町の認定農業者を取得しました。行政からこのような認定を受けていることによって、公的金融機関からの事業資金の与信枠も広がりますので、手間と努力を惜しむことなく認定習得にトライしてみてはいかがでしょうか?

     私の場合、第2の人生を楽しくということを念頭に置いてます。年金がもらえるまではとにかく身体を動かして、脳の力が衰えないようにしたいと思います(笑)・・・今の暮らしは、ストレスが以前とは比べ物にならないほど少なく、第二の人生としては最高だと思います。会社を定年退職した方々にも第二の人生の暮らし方としての前例となり、その魅力を伝えていきたいです。

    人も犬も幸せな移住の画像

    人も犬も幸せな移住

     我が家では、大型犬である、ラブラドール・レトリバー愛犬ララを飼っています。もう11歳になりましたが、環境が変わっても大喜びで元気です。土や草の上の散歩、特に冬の雪上はやはり相当楽しいみたいで、生き生きした表情を見せてくれます。

     山ノ内町での暮らしは、犬にも幸せをもたらしてくれています。

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