信州・南佐久・さくほ さくほの家の物語
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 さくほのまちなみは、ほかにもある。東町の看板建築群はそのひとつだ。大正から昭和初期にかけて花街ができるほどの繁栄を経験しながら、平成に入ってすっかり寂れてしまったのだが、その名残は美容室の多さとハイカラな栄橋がわずかにとどめている。 農村集落は町内の各所に見られるが、大日向は抜井川沿いに集落が点在している。南面掃出しの家が寄り添うように並ぶ様はのどかだが、農地にはあまり恵まれなかったゆえに、満州開拓団を送り出した歴史を内に秘めている。 大石花ももの里は、もともと花ももの木が多かった大石地区で、平成19年から国道沿いに花ももを植えるようになって、徐々に伸びていった。今では多くの人が集まり、毎年「花ももまつり」が開かれ新名所となっている。 かつて佐久甲州街道と武州街道の交差点だった高野町は、江戸時代には陣屋が置かれ、南佐久の行政・経済・交通の要所であったという。すでに陣屋や宿場の主要な建物は跡形もないが、旧街道沿いの家々は道に面して同じ向きに並んでいる。こうしたさくほのまちなみについては、「信州まちなみスタディーズ〈佐久穂〉」に詳しく記されている。 美しいまちなみを残そう、乱れたり寂れたりしたまちなみを整えようと思っても、その背景や歴史に価値を感じ、思いをよせることがなければ難しいだろう。まちなみの大切さを共有するために、この町を歩いて風景やまちなみが美しく感じられる瞬間を体験したり、歴史を学んだり、人々の営みを知ったりすることが、案外早道なのかもしれない。まちなみが語るさくほの歴史天神町の、喜劇駅前食堂から黒澤酒造に向かう通りのまちなみ。ほんの数十メートルだが、蔵と開渠の水路、緩やかに曲がる道が味わいを醸し出す。1234栄橋  看板建築  大日向集落  大石花ももの里 1234「信州まちなみスタディーズ<佐久穂>」信州大学経済学部武者忠彦ゼミ+長野県建築士会信濃毎日新聞社

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