信州・南佐久・さくほ さくほの家の物語
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 さくほの建築物で最も特徴的なのは、所謂「お屋敷建築」だ。広い敷地を囲む板塀、立派な門、塗り壁の家、土蔵。こうした構えを持つ家の多くは、代々この地で農業を営み、成功を収めた家である。やがて天神町の黒澤家のように、時代に応じて別の事業を起こしていく家もある。八千穂村史によれば、こうした屋敷は200坪から500坪もあるものがあり、土蔵には玄米を貯蔵した「つぶし」が置かれ、大豆や粟、稗などの穀類のほか、什器や長持ち・タンスなども置かれていた。米蔵の他に桑を入れる蔵が別にある家もある。昭和30年頃までは養蚕も盛んで、80%以上の農家が携わっていた。佐々木町長のお祖母さんの時代には「米30俵繭百貫の家にならお嫁に行ってもいい」というのが、畑村(旧八千穂村の一部)のお嬢さん方の、おそらくはやや贅沢なお相手選びの基準だったようだ。近隣町村からは、貧しい家を支えるために諏訪や岡谷の製糸工場に工女として働きに出たものも多い中、うらやましい話である。米は隣の群馬県にも売られたが、峠の手前で水力により籾摺りをして、付加価値をつけて販売されたという。富は天の恵みだけでなく、人々の知恵と勤勉が生み出したものでもあるといえよう。 お屋敷建築の建物ひとつひとつも存在感があるが、塗り壁や板塀、瓦屋根の続くまちなみは、この町の歴史そのものであり、時を重ねた質の高いものにしか醸し出せない情緒がある。開渠の用水路がなお一層それを引き立てる。こうした貴重なまちなみは、上畑・下畑の国道より西側や天神町界隈、崎田、花岡、下海瀬などところどころに残っている。築百数十年にもなる建物は建て替えられることも多いのだが、古民家再生にしたり、新築でも元の建築の持つ雰囲気を大切にしたりするケースも少なくない。また、越し屋根などの伝統的建築がしらかば体育館にも使われるなど、現代に、未来に町の歴史や誇りを伝え、守ろうとしているものもあるのだ。豊かな農村を今に伝える「お屋敷建築」

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