長野県茅野市移住ガイドブック 楽園信州ちの
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八ヶ岳産の地粉でそばの最高峰へ将軍家への献上品「寒晒しそば」茅野市におけるそば栽培の歴史は古いものの、そばの品質向上、ブランド化、生産の拡大などの取り組みが本格的になったのは、平成10 年を過ぎてから。荒れていく遊休農地を何とかしようと、各集落ごとに生産者が営農組織を立ち上げ、その後、平成14 年12 月に「茅野市そば生産者協議会」を誕生させました。地道な努力と取り組みが実って、平成17 年には45 トンのそばが生産されました。一方、市内のそば店経営者有志は「八ヶ岳蕎麦切りの会」を結成。「地産地消」を合い言葉に、地元のそば粉を使った手打ちそばの提供を掲げ、平成17 年3 月には「茅野八ヶ岳そば振興会議」が設立され、生産から加工、販売と流通に一貫した組織が確立しました。平成18 年からは諏訪大社への献納祭なども行われています。また、地域のシンボル的な品目を育てる必要性から、江戸時代に諏訪の特産品として将軍家へ献上された「寒晒しそば」を復活させ、そばの最高峰として更なるブランド化をすすめています。そば江戸時代に信濃国諏訪郡高島藩から将軍家への献上物は季節ごとに献上品が定められていました。そのうちの蕎麦は、夏の土用蕎麦として「暑中寒晒蕎麦」が伊那郡高遠藩と諏訪郡高島藩の2藩が献上していたという歴史があります。秋に取れた蕎麦の実を袋に入れ、厳寒期(寒中・大寒から立春まで)の冷たい清流に浸し、それを引き上げ戸外の天日と寒風に晒しながら約1ヶ月かけて乾燥します。土蔵で夏までゆっくり熟成させた「特別な蕎麦」の事であり、当時の信州蕎麦の最高位に位置づけられる名産品であったようです。諏訪の気候風土を利用した先人達の製法を現代に復活させ、毎年「八ヶ岳蕎麦切りの会」の店で夏の土用の頃より「信州蓼科高原、献上寒晒しそば」として販売し、その物語、希少性、独特の食感などから多くのお客様に好評を頂いています。60

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