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    移住者体験談

    Vol.11 先輩移住者に聞く/福永一美さん「須坂市峰の原高原のペンションオーナー」

    兵庫県 須坂市 信州で働く

    福永一美さん

    移住先 須坂市
    移住年月 1972年12月
    職業 ペンションオーナー
    須坂市峰の原高原のペンションオーナーの画像

    須坂市峰の原高原のペンションオーナー

    みなさんこんにちは。このコーナーでは須坂市に移住した先輩移住者にインタビューをして、須坂の暮らしはどういうものか、須坂のいいところ、苦労しているところを聞いていくコーナーです。
    今回は須坂市峰の原高原地区のペンションのひとつ、ペンションふくながのオーナー福永一美さんにお話をお伺いしました。
    ◆1972年12月に兵庫県宝塚市から移住


    ●ペンションオーナーになったきっかけ
    私の両親がペンションをはじめるということで一緒についてきたというのがきっかけです。
    ですので、峰の原高原に引っ越してきた日が初めて峰の原高原に来た日です。
    両親は見ず知らずの田舎に引っ越すときは、周りがみんな移住者のところに引っ越した方がしがらみもなく、しかも、いきなり集落に入ると慣れるまで時間がかかるということもあり難しいと考えたみたいです。それならば一から新しい集落を作った方が都会から移住してもハードルが低いのではないかと思ったらしいです。
    当時、信州で何件かペンションヴィレッジが開発されていた中で、比較的市街地に近く、スキー場にも近く、さらに東京からも簡単に来られる峰の原高原を選びました。

    ●須坂・峰の原高原で生活して良かったこと、苦労したこと
    みんな気楽だったことです。私たちは先住者だったので、郵便も新聞も配達に来ない、電話もひけない、ごみも収集に来ないような状態だったので大変でした。
    しかし、それはうちだけではなく、ここに住むみんなが大変だったので、協力しながら努力してきたので一から作る楽しさ、今でいうベンチャー企業のような楽しさというものがありました。
    ただ自分たちの作ったところではのびのび暮らしていましたが、一歩外に出ると昔からある地域なので、そこでいろいろなしがらみがあり、わからないところがたくさんありました。
    しかしながら、今でも峰の原高原にはそんな気楽さ、住みやすさがあります。寒さとかインフラ的なものは覚悟してここに住んでいるので気にはなりません。
    今の年齢でここに来たならば、今までの都会の暮らしがあったから馴染まなかったかもしれませんが、20代で来ているので、何とかなりました。
    若い時に来て、いくらでも失敗して、やりなおすことができるというのも気楽にできた理由なのかもしれません。


    ●須坂市・地域おこし協力隊への提案
    もっとアウトドアやアクティブに活動して欲しいです。また、もっと社会経験を積んでくればもっと簡単にできるのかなと思います。そのように使われるのに慣れていればもっと頼めるのかなと思います。
    また、須坂市には、行政が民間の代わりに何かをするのではなく民間がやりたいといったことを手伝ってほしいというか、頭ごなしに否定するのではなく話をきちんと聞いて協力してほしいと思います。

    ●移住を希望する方へ「気楽に楽しむ」
    肩の力を抜いて、楽しんでください。無理をして、ああしようこうしようとするのではなく、移住もとりあえずやってみるかくらいの気軽な気持ちで望むと長続きするのではないかと思います。
    移住への期待が大きすぎると、期待と現実のギャップが大きくなってしまい挫折してしまうかもしれません。峰の原高原は気楽なところですので気楽にきてください。


    ペンションふくなが
    http://www.tim.hi-ho.ne.jp/kfukunaga/
    〒386-2211 長野県須坂市峰の原高原
    TEL 0268-74-2729

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