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    移住者体験談

    与えられる文化より、作り上げる文化

    神奈川県 東御市 趣味と暮らす理想の住まい

    小池 孝雄 さん(定住アドバイザー)

    移住先 東御市
    移住年月 2003年
    職業 農業
    長野で暮らしていたときの風景がよみがえるの画像

    長野で暮らしていたときの風景がよみがえる

    元々は長野市出身でしたが、長らく東京で働いていました。東京にいる間も山登りが好きだったので、休日には都心近郊の山によく登りにいっていました。
    そんなとき、山からおりてきたときのあたりの風景を見ると、長野で暮らしていたときの風景がよみがえってくるんですよね。 そういったことが、都会での生活を窮屈にしていたと思います。

    移住をしようと思った一番のきっかけは、40歳のころに職場で受けた「後半人生を考える。退職後は地域が大事」というセミナーでした。
    50歳になり、具体的に移住を考え始めるようになり、様々な情報誌やインターネットで情報収集を集めたり、 妻とともにふるさとネットワークの現地見学会に参加し、物件を探していました。

    朽ち果てる寸前の家をリノベーションの画像

    朽ち果てる寸前の家をリノベーション

    東御市を選んだのは、縁のある空き家が東御市にあった、ということなんです。

    たまたま空き家になったままの兄の友人の実家が東御市にあり、「まずはそこに住みながら、移住先を探してみてはどうか?」とアドバイスを受けました。
    実際にその古い民家を見るなり、これは借りるより購入して再生して住みたい!と思いました。
    移住を検討している段階で、既に県内の飯山市、上田市、軽井沢町、佐久市等を見ていたのですが、雪が少なく太陽に満ちている東御市の気候が気に入っていたこともあり、東御市への移住を決断しました。

    購入した家は、本当に朽ち果てる寸前の家だったんです。構造の部分はやはり不安なので、大工さんに修繕をお願いしましたが、資金面のこともあり、自分たちで壁を塗ったり、屋根を張り替えたりしました。外の板張りなんかも自分たちでやりましたよ。

    52歳で住民票を東御市に移したのですが、私自身、東京での仕事は続けていました。妻は先にこちらへ生活の拠点を移し、私は60歳のリタイアまでは新幹線での金帰月来でした。
    週末のとうみぐらしが楽しみだったので、疲れも感じることなく、とてもメリハリのある8年間でした。
    東御市が帰りやすい距離だったこともあります。通勤圏と言ってしまってもいいくらいでした。
    職場の仲間も、金曜の飲み会は私が東御市に行くように時間と場所を合わせて開いてくれていました(笑)

    ウチでお酒のまない?の画像

    ウチでお酒のまない?

    この家を紹介してくれたのが兄の友人だったこともあり、来た当初に地域の人を紹介してもらったので、地域のコミュニティへのとけこみがすっとうまくいきました。
    今じゃ、誰がどこの息子さんかなんて血のつながりがわかるようになりましたよ(笑)

    それでも最初は地域とどう溶け込むか不安なところはあったので、意識的に人を呼ぶようしました。
    その方法は「今日ウチ来てお酒のまない?」って地域のみなさんを誘うことなんです。
    この家にあった囲炉裏が本当に効果的だったんです。この囲むようなかたちが落ち着くんだと思うんです。
    ただいま、って入ってきた人もいますよ(笑)

    私は必要以上にいろんな所に顔を出していると思います。そうすることで、人間関係が広がるんですよね。料理をやってみたいと思って、男の料理教室ってところに入ってみたり、絵を描いてみない?って言われて絵を初めてみたり。
    ほかにも陶芸をやったり、オカリナをやったり、俳句をやったりしています。

    こちらの人たちは、新しく入ってきた人に興味を持ってくれるし、気の合う人が声をかけてくれるんですよね。

    ■なみえさん(奥様)
    私は先に東御市へ来ていたので、時間がありました。
    元々着物の着付けをやっていたので、こちらの教室に通いはじめて、今は自分で教室もやっています。
    こちらに来る前にやっていたパッチワークも教室に通い始めました。教室に通うことで取り組む時間をちゃんと取ることができるんですよね。都会ではできなかったと思います。

    まわりの方々はみんな良いひとたちで、よくしてもらっています。
    しょうゆたりないとか、さとうたりないとか、助け合ったり。頼まれたら着付けをやってあげたりとか、そんなお付き合いをしています。

    何が便利で、何が不便かの画像

    何が便利で、何が不便か

    都会は便利かもしれません。ちょっと外にでれば、買い物ができるし。
    でも都会生活って、ガラス細工の上で成り立っていると思うんです。

    とうみでくらすということには、殆ど不便とは感じません。
    ただ坂が多いので、自転車があまり使えないのが残念。車中心の生活なので、運動不足になっちゃいますね。

    移住の検討にあたっては、何が便利で、何が不便か、自分の頭の中で咀嚼することが大切だと思います。
    文化とか芸術とか、与えられるものっていくらもであると思います。
    たとえば、音楽に触れるためには都会だったらコンサートに行きますよね。
    ここにいると、自分でオカリナをふいたり、自分で歌を歌ったりすることで音楽に触れることができます。

    他にない分、ここでやるということが大切に思えてくるんです。与えられる文化より、作り上げる文化がとうみにはあるんです。
    自分で文化を作り上げる、そういうことができるのりしろがとうみにはあるんです。

    与えられたものを、納得しながらやっていくの画像

    与えられたものを、納得しながらやっていく

    東御市にも空き家が多くあるようです。空き家を高齢者のたまり場にできるように、改修できないかと考えていて、そこをサロン的な世間話をできる空間にしたいです。高齢者は閉じこもりがちなので、高齢者を自然と見守ることともできると思います。

    考えたり悩んだりしているのは、20代から変わらないと思います。
    何か大きな目標をもって実現するって言うわけではなくて、与えられたものを納得しながらやっているんです。

    僕が持っている価値観の中で、地域と関わりながら生きていきたいと考えています。

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